東京地方裁判所 昭和50年(ワ)9187号 判決 1976年10月29日
原告 本間健二
右訴訟代理人弁護士 高野長英
被告 高野メリヤス有限会社
右代表者代表取締役 高野健次
右訴訟代理人弁護士 青木俊文
主文
被告は原告に対し、金三一万七、八五六円及びこれに対する昭和五〇年一一月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。
この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
被告は原告に対し、金三八万二、八五六円及びこれに対する昭和五〇年一一月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
第1項につき、仮執行の宣言。
二 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、繊維製品製造を業とする会社であり、原告は、昭和四一年一一月二七日、縫製課営業係員として、被告に雇用された。
2 原告は被告に対し、同五〇年五月二二日に、同年七月二五日限り退職する旨の退職願を提出し、さらにその後同年八月二五日まで出勤し、同日をもって退職した。
3 被告の給与規則によれば、依願退職した原告の退職金は金三一万七、八五六円となる。
4 原告は、被告が原告の退職金支払いの請求に応じないので、弁護士である原告訴訟代理人にその取立てを委任し、訴訟費用・実費、手数料として金六万五、〇〇〇円の支払いを約し、財団法人法律扶助協会がこれを立て替えて同代理人に支払ってくれたので、原告は同額を事件完結後に右協会に返還しなければならない。
右弁護士費用は、被告が退職金の支払いを拒絶したことにより生じた損害であるから、被告にはこれを支払う義務がある。
5 よって、原告は被告に対し、退職金三一万七、八五六円及び弁護士費用六万五、〇〇〇円の合計金三八万二、八五六円並びに右金員に対する本件訴状送達の日の翌日である同五〇年一一月七日以降完済に至るまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
≪以下事実省略≫
理由
一 請求原因1及び2の事実は、退職願提出の日を除き、当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、退職願提出の日は昭和五〇年五月二五日であることが認められる。
二 そこで、同年八月二五日をもって原・被告間の雇用契約が終了したか否かについて判断する。
1 旧就業規則第五〇条には、従業員の依願退職について、「退職を希望する場合は遅くとも二週間前に退職願を提出し、会社の許可を得なければならない。」と規定されていたこと、また、原告が同五〇年五月当時、編立課企画係長であったことは、いずれも当事者間に争いがない。
2 ≪証拠省略≫を総合すれば、
(一) 被告は、旧就業規則を変更すべく従業員にはかり、同四六年一一月一日付で従業員代表の柳沢勇次から変更につき異議はない旨の意見書の提出を受け、これを添えて同年一二月一四日、江戸川労働基準監督署長に変更の届け出をなし、また、右変更の点については、朝礼の際従業員に対し口頭で説明するとともに、変更された就業規則をタイムレコーダーの傍に掲示していたこと、
(二) 右変更により就業規則第五〇条は、「退職を希望する場合は遅くとも一か月前、役付者は六か月以前に退職願を提出し、会社の許可を得なければならない。」と改められたこと、
(三) 同条にいう「役付者」とは係長以上の者を指し、同五〇年五月当時の原告もこれに該当すること、そして原告の給与は月給制であったこと、
(四) なお、原告が、被告に対し同年七月二五日限り退職する旨申し入れながら、同月二六日以後も同年八月二五日まで勤務についたのは、退職願の撤回を意味するものではなく、原告が被告の願いを容れて、退職を一か月後に延ばしたものであることが認められ(る。)≪証拠判断省略≫
3 右事実関係に徴すれば、本件就業規則変更の手続には問題がないが、変更された第五〇条の規定の内容には問題があるというべきである。けだし、期間の定めのない雇用契約について、同規定によれば、たとえば、月給制の、役付でない労働者が月の後半に解約を申し入れた場合のように、民法第六二七条による場合よりも短い予告期間で退職できる場合もあるが、その余の場合には、同条による場合より予告期間が長くなるところ、就業規則によって民法第六二七条で定める予告期間を、使用者のために延長することが許されるか、については説が分れているからである。
そこで考察するに、民法第六二七条は、期間の定めのない雇用契約について、労働者が突然解雇されることによってその生活の安定が脅かされることを防止し、合わせて、使用者が労働者に突然辞職されることによってその業務に支障を来す結果が生じることを避ける趣旨の規定であるところ、労働基準法は、前者(解雇)については、予告期間を延長しているが(第二〇条)、後者(辞職)については何ら規定を設けていない。
また、同法は、契約期間について、民法第六二六条で定める期間を短縮し(第一四条。但し、例外がある。)、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約を禁止し(第一六条)、前借金等と賃金の相殺を禁止し(第一七条)、使用者が強制的に貯蓄をさせ、又は貯蓄金を管理することを禁止し(第一八条第一項)、また、労働者が自発的に貯蓄金の管理を使用者に委託する場合についても詳細な取締規定を設けており(同条第二項以下)、そして、右各条の違反に対しては罰則が設けられている(同法第一二〇条第一号、第一一九条第一号。但し、昭和五一年法律第三四号による改正前のもの。)。
右の労働基準法第一四条は、端的に、長期の契約期間によって労働者の自由が不当に拘束を受けることを防止するものであり、同法第一六条及び第一七条は、労働者が違約金や賠償額又は前借金等の支払いのため、その意に反して労働の継続を強制されることを、また、同法第一八条は、貯蓄の強制や貯蓄金の使用者管理が場合によっては労働者の足留めに利用され、結局、労働者の自由が不当に拘束されることをそれぞれ防止する趣旨を含むものと解される。
以上によれば、法は、労働者が労働契約から脱することを欲する場合にこれを制限する手段となりうるものを極力排斥して労働者の解約の自由を保障しようとしているものとみられ、このような観点からみるときは、民法第六二七条の予告期間は、使用者のためにはこれを延長できないものと解するのが相当である。
従って、変更された就業規則第五〇条の規定は、予告期間の点につき、民法第六二七条に抵触しない範囲でのみ(たとえば、前記の例の場合)有効だと解すべく、その限りでは、同条項は合理的なものとして、個々の労働者の同意の有無にかかわらず、適用を妨げられないというべきである。
なお、同規定によれば、退職には会社の許可を得なければならないことになっているが(この点は旧規定でも同じ。)、このように解約申入れの効力発生を使用者の許可ないし承認にかからせることを許容すると、労働者は使用者の許可ないし承認がない限り退職できないことになり、労働者の解約の自由を制約する結果となること、前記の予告期間の延長の場合よりも顕著であるから、とくに法令上許容されているとみられる場合(たとえば、国家公務員法第六一条、第七七条、人事院規則八―一二・第七三条参照)を除いては、かかる規定は効力を有しないものというべく、同規定も、退職に会社の許可を要するとする部分は効力を有しないと解すべきである。
以上によれば、原告は役付者であったけれども、変更された就業規則第五〇条の後段によって退職日の六か月前に解約申入れをしなければならないと解する余地はないが、さりとて、本件のように月給者でしかも役付の者が月の後半に解約申入れをした場合に、民法第六二七条第一、第二項によらないで、同条項の前段によるものとするのは、被告の意に反すると解されるから、結局、本件の場合には民法第六二七条第一、第二項で定める期間を基準にすべきである。そして、前述のように、原告は被告に対し、同年五月二五日に、二か月後である同年七月二五日限り退職する旨の退職願を提出し、なお、さらに一か月後である同年八月二五日まで勤務についたのであるから、同日をもって、原・被告間の雇用契約は終了したというべきである。
三 そうすれば、原告がその後に無断欠勤したとして、被告が原告を懲戒解雇したとしても、その効力を生じないものであることは明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告は被告に対し、依願退職したことを理由に退職金を請求することができることになる。
そして、原告が同五〇年八月二五日をもって依願退職した場合の退職金が金三一万七、八五六円であることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、その支給時期については、被告の給与規則第三九条で、「退職金はその計算金額が五万円未満の時は、退職または死亡の日から一〇日以内に支払う。その五万円を超える額については退職又は死亡後一か月を経てから一〇日以内に支払うことがある。」と定められていることが認められるから、原告の請求中、退職金三一万七、八五六円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな同五〇年一一月七日以降完済に至るまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由がある。
四 ところで、原告は弁護士費用をも請求しているけれども、民法第四一九条によれば、金銭を目的とする債務の履行遅滞による損害賠償の額は、法律に別段の定めがある場合を除き、約定又は法定の利率によるものとし、債権者はその損害の証明をする必要がないとされているが、その反面として、たとえそれ以上の損害が生じたことを立証してもその賠償を請求することはできないものというべく、債権者は、金銭債務の不履行による損害賠償として、債務者に対し弁護士費用その他の取立費用を請求することはできないと解されるから、原告の右の請求は理由がない。
五 以上の次第であるから、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石井宏治)